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第13回:日本ハム(株)中央研究所
日本ハム中央研究所 山田良司顧問

 食品偽装、農薬混入など食品の安全性に強い不信の念がもたれるようになっています。生活・健康に直結するだけに食品産業に対する期待は大きく、逆に見る目が厳しいという面があるのでしょう。
 日本ハムは売上高が1兆円という大企業、ホームページを見て驚いたのですが(驚くほうがおかしいかもしれませんが)、牛や豚の飼育から食肉加工、販売と出発点から一貫して企業内で扱っておられます。そうすると食肉のおいしさや栄養評価、安全性について、すべて飼育の段階から取り組んでいかなければなりません。こういう企業の研究所では、どんなテーマにどのように取り組んでおられるのでしょうか?
 11月28日、日本ハム中央研究所をお訪ねしました(溝口、大枝)。お相手下さったのは、山田良司顧問です。
 例によって、アカデミーについて簡単な紹介、訪問趣旨説明のあと、質疑に入りました。

Q:この研究所はいつ開設されたのでしょうか、またつくばに持ってこられたのには何か意味がありますでしょうか?
A:この研究所は平成3年に開設されました。つくば市は世界に冠たるサイエンスシティー、多くの国立の研究機関が集合し、筑波大学もあり、研究のネットワークが作りやすいということも理由の一つで、この地に決まりました。
規模は敷地1.2万坪、研究棟の床面積は4000m2位です。所員は50人、ほかに補助員が15名、中には特別技術を持った人もいます。

Q:研究の狙いというか、研究分野・テーマの概略をご説明ください。
A:日本ハムの現事業を支援するとともに新規事業シーズを創出することが研究所の使命ですが、研究分野のウエイトとしては、食肉関係30%、アレルギー関係30%、機能性素材30%、安全性10%といったところでしょうか。
中央研究所は3つの研究開発を目指します。

 まず食肉についてですが、日本ハムとしては売り上げの6割が食肉関連です。テーマの中には、循環型農業への取り組みとして、川上部門で産出する未利用の農畜産物から付加価値の高いものを作る、例えば、屠場の血液やミルクホエーから飼料材料を開発し、豚の成長等への有用性を研究するといったことですね。
 ほかに、より健康で安全な豚を育てるために生産性向上や衛生管理に役に立つ検査などの技術開発を行っています。例えば、遺伝子工学的手法を駆使して、農場に存在する微生物等を迅速に鑑定して、疾病を抑える方法として応用するといった研究です。農場の衛生管理に実用化されています。
 次に、食肉加工そのものに関連しては、食肉のおいしさの元として、熟成でどのようなペプチドができるかといった研究、また成果の一例として、鶏肉の生産工程において、ある一定の温度・時間で死後硬直を経過させた後に骨を抜いて、軟らかいムネ肉をつくる技術等があります。これはブランド食肉として売られていて、その技術は日本家禽学会で賞をもらいました。
 豚などブランド食肉として売る場合、それなりの戦略を立てなければなりません。なぜブランドとして売れるのか、肉の特質を把握しておく必要があります。

Q:食品アレルギーへの対応も研究テーマのようですね。
A:アレルギーの問題には、10年位取り組んでいまして、アレルゲンの検査キットなど事業の一部にもなっています。具体的にはパンフレットをご覧頂きたいのですが、食物アレルギー物質のスクリーニング検査キットとして、イムノクロマトシリーズが定性分析用、エライザシリーズが定量分析用のキットです。

Q:大切なことですが、なぜこういうテーマを?
A:食物アレルギーに苦しむ子供さんが沢山おられます。私どもの企業メッセージに「幸せな食創り」というものがあり、創業者の困っている人を食を通じて支援したいという思いもあって研究が始まったのです。
 実は食肉そのものに対してアレルギーは少ないのですが、肉製品には乳や大豆などの異種蛋白を使っている製品もあるので、医師はそういう子供たちに対しては、肉製品の摂取を控えるよう指導することが一般的でした。それで、こういうものが入っていない食肉を提供したいということになりました。検査技術の前に、まずアレルゲンフリーの肉製品を開発することからスタートしました。
 この商品はアピライトというのですが、現在東北日本ハム(株)で製造され、販売されています。
特定原材料検査キット FASTKITエライザ Ver.IIシリーズ
中央研究所で開発したアピライト商品。初めて厚生労働省のアレルゲン除去食品(特別用途食品の一種)に許可された食肉製品。

Q:アレルゲン検査技術の研究も随分進んでいるようですが。
A:約6年前、厚生労働省から、アレルギー物質を含む商品には、その量が極く微量であっても必ず表示するよう義務付ける通知が出されたのですが、その当時アレルギー物質の検査法はありませんでした。それで厚生労働省からの要望もあり、このテーマに取り組むようになり、先ほどのエライザシリーズのような話になったのです。
 現在は検査キットの枠を広げて、サルモネラ菌や大腸菌O157などを対象にした食中毒菌検出キットNHイムノクロマトも販売しています。販売は試薬会社などにお願いしています。
 また研究開発とは別の活動として、アレルギーネット(http://www.food-allergy.jp/)を開設し、アレルギーに関連する多くの情報発信を行っています。

Q:そうすると、アレルギー関連のテーマをまとめると、アレルゲンフリーの食品開発、検査キット開発、情報発信の3点ということになりますでしょうか?
A:その通りです。検査キットの話は、新規事業を育成することと合わせて自社商品の安全性を確保するという品質保証への貢献も目的にしています。情報発信では、アレルギーの子供さんやそのお母さん方を集めて公開講座も始めました。お蔭様で好評を頂いています。
 中央研究所の役割は、前にも申しましたが、新規ビジネスのシーズ提案、現行ビジネスの応援ということにあります。アレルギーの話は両方の狙いはありますが、特に日本ハムが異分野の事業へ挑戦したという面で社内外に与えたインパクトは大きかったような気がします。まだまだ事業規模は大きくありませんが、利益追求ばかりではなく社会貢献という観点でテーマの意義を唱えた創業者の方向性はよかったと思います。

Q:そういうお話は、聞いていて嬉しいですよね。ところで、蛋白質は非常に種類が多く、アレルゲンといっても多種多様と思います。そういうものをすべて検出できるのでしょうか?
A:例えば、卵にはオボアルブミンやオボムコイドなど数種の蛋白がありますが、卵が入っていれば、その蛋白すべてを捕まえる、見逃さない、という考え方で検出法を構成しています。

Q:どういう発想で捕まえるか、一種の戦略が必要なのでは?
A:研究の戦略や戦術はチームを作って検討します。皆で揉んで形を作って行くのです。日本ハムの風土は、1回の失敗は許されるような自由さとチャレンジさせる場を与える良さがあると思います。昔に比べると今は若い人からの提案が少なくなったとよく言われますが、良いアイデアや挑戦心を引き出すマネジメントの工夫も必要です。

Q:知を結集するということで、いろいろな分野の方がおられると思いますが。
A:農、医、理学分野の博士号取得者が15人います。それに獣医もいます。工学博士は現在はいません。でも余談ですが、所長は農学博士ですが出身は工学部です。

Q:次に、機能性素材についてお聞きしたいと思います。
プラセンタエキスに含まれる複合成分

A:これは中央研究所で3割くらいのウエイトです。日本ハムには国内外に農場があって畜産資源を豊富に持っています。牛や豚は一元的に管理され、トレースしていくことも可能です。これまで食品に加工された後の残分は廃棄されたり、他の畜産物の餌になったりしていたのですが、これから健康素材ができないか、ということです。たとえば鶏足や豚皮からのコラーゲンペプチド等です。
 カルノシンやアンセリンという物質は、運動機能に効くようでして、鳥の肉や馬肉に多く含まれています。例えば渡り鳥は、このおかげで疲れないと言われています。鶏肉からこのジペプチドを抽出する製法を開発、運動能力向上や抗疲労作用の研究を重ねました。CBEXという商品で今は市販させていただいています。天然物由来ですが、濃縮された状態での安全性についても、アメリカFDA より、GRAS物質としての認可を受けています。
 また、プラセンタという素材も開発しました。これは豚の胎盤からとっているのですが、美容機能のあることが認められ女性に人気です。現在10アイテム以上の機能性素材を保有しており、特に健康食品向けに販売しています。動物や植物など生物由来の機能性素材の市場は現在数百億円の規模がありますが、美容・生活習慣病予防・疲労回復などをターゲットに事業展開を目指しています。この仕事では、素材がもつ健康への有効性を科学的に実証することが必要ですので、さまざまな手法で研究に注力しています。

Q:研究所として4番目のテーマは、安全性あるいは品質評価技術ですね?
A:このテーマは1割程度、農薬や動物用医薬品など食品残留物質の分析が大きな分野です。平成15年の食品衛生法の改正によりポジティブリスト制(残留基準が制定されていない農薬等が一定量以上含まれる食品の流通を原則禁止する制度)が導入されました。先端分析機器を用いて、多くの物質を定量的に一斉分析する技術開発に取り組みました。現在、保有する技術は国内でも最高水準と自負しています。

Q:そういうことを一斉にやるのは、なかなか大変であるように思えます。実際はどのように実行するのでしょうか?
A:基本的には、対象物質を水と有機溶媒に溶ける群に分けて抽出した後に、LC/MS/MSやGC/MS等の分析機器を用いて高感度に定量分析します。この技術はルーチン化されていて、品質保証部の安全検査室で当社の原料や製品の安全性確認のための検査で使われるようになっています。

SQF1000/HACCP取得 国内自社農場

Q:畜産から始めておられるということですので、トレーサビリテイにも十分配慮されていると思いますが?
A:そうですね。牛の個体識別のための情報管理は勿論、多くの原料を対象にトレーサビリティシステムを導入し万全を期しています。
 中央研究所ではこの領域の研究はあまり行っていませんが、品質保証分野では安全性に係る基本技術の開発が中心です。疾病関連ウイルスや微生物の検出、畜種鑑別、アレルゲン検査、農薬等の分析、カビ毒その他のリスク物質の分析などに取り組み、当社の自主的検査に成果を活用しています。また分析項目の一部については外部からの受託分析を実施しています。

Q:これからは、一般的な食品加工技術についてお聞きしたいと思います。昔にくらべ冷凍技術が進歩して、北洋の魚が東京でも食べられる、というようなことがあります。食肉加工技術として大きな変化・進歩というとどういうことになるでしょうか?
A:加工技術の中での最も大きな技術革新は、微生物制御の考え方が浸透して衛生包装技術が進歩したことでしょうね。また肉科学においては、例えば、豚の熟成には4〜5日位がよいと言われていたのですが、当研究所で筋肉組織の構造的な変化やアミノ酸の変化を実験的に追及して、牛と同じで30日以上がよいといった結果を得ました。こういったことに基礎科学的な解明が進んだ、ということもあると思います。また、ハムの製造での塩漬工程に機械的な方法が導入され安定した品質の製品を効率的につくれるようになったことも進歩でしょうか。
 他に、冷凍・解凍技術、フリーズドライ技術、減圧フライ技術など機械的な方法の進歩が大きいですね。

安全検査基準に合格した原料のみを受け入れています
Q:安全・安心、品質管理なども大切と思います。
A:安全に関しては、工場の品質管理技術のレベルが上がり、現場で微生物検査は勿論、アレルゲンのチェックやも行われるようになっています。
 食品産業では昨今は、消費者ニーズの多様化に伴い大量生産と違って少量多品種的、言わば手作り的な面があり、装置+人手の要る作業に頼らざるを得ないところがあります。こういうところに、アメリカのハザードアナリシスが入ってきて、これはHACCP手法といわれているのですが、工程の途中で危害要因の重要度に応じて管理を行うようになっています。
 工場としては、これらの技術レベルを保つための教育も大きな課題です。

Q:先ほどの基礎科学的な解明、というところに戻るのですが、味と分子構造の関係については、わかってきているのでしょうか?
A:ペプチドのアミノ酸構造はわかってきています。しかし、これが味という官能ときちんと相関しているか?味というのは総合的なものでして、ちょっと難しいかなという気がしますね。脂肪も風味への大きな要素です。脂肪は匂いにも関係しますし、一般的に融点が高いと、口溶けや脂肪特有の滑転味(舌に滑るような味)の点でマイナスですね。

Q:調理法と味との関係についてはいかがでしょう?
A:中央研究所としてある程度検討していますが、基礎研究で終ってしまう傾向があります。加工事業本部に属する商品開発研究所では行っています。例えば、緩慢な加熱あるいは表面の焙焼等の方法により、商品に応じて好ましい風味を引き出す研究もされています。

Q:基礎分野で、今後こういう分野に力を入れるというとどういうところになりますでしょうか?
A:畜産分野では、繁殖率・増体速度が早く産肉能力も高い品種、免疫力の高い品種の開発、また栄養吸収性の高い機能的な飼料開発なども開発ニーズとしてありますし、また加工に適した特性を持つよう原料自体を改質する技術も望まれます。また、身体への機能の研究では、現在は、動物実験や人での臨床実験で効果を検証していますが、これらに代わる機能性評価技術も必要です。また有用物質を遺伝子組換え技術を応用して微生物等で効率的に生産する技術開発もあると思います。但し、遺伝子組換え体やその産物を食用に供する場合の法的基準がまだ整備されていない問題やパブリックアクセプタンスの課題もありますが。しかし、企業の研究においても、時代の変化に対応した開発に加えて、将来を見据えた基礎研究も大切だと思います。

Q:知的財産管理はどのように進めておられますか?
A:所内にチームがあり、ここで管理しています。今のところは所内レベルですが、いずれは本社内に設けられるのではないでしょうか?
日本ハム中央研究所

Q:つくばの研究機関との交流は進んでいますでしょうか?
A:食総研や筑波大、畜産草地研との共同研究を行いました。今でも一部継続しています。自前の研究だけでは、研究の質とスピードを高めるのに困難な時代になりました。研究所開設後、16年間で全国の大学や専門機関との共同研究は,50件を越える実績があります。昔以上に大学が企業へ門戸を開く時代になりましたので、今後も研究運営施策として産学連携も視野に置きたいと思っています。

Q:有意義なお話を聞かせていただきました。アカデミーの今後のあり方について、何かコメントをいただけないでしょうか?
A:理系にとどまらず、例えば文科系の女性も含めた広い分野での活動が大切なのではないでしょうか、消費者行動やマーケティング学迄含めた幅広いサイエンスの視点での企画など。具体的なテーマは難しいかもしれませんが。

Q:長時間、本当に有難うございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
A:こちらこそ、よろしくお願いします。


(感想)
 この研究所を訪問し、「医食同源」という言葉を思い出しました。最近、「食の安心」を揺るがす話題がマスコミを賑わせていますが、業界最大手である日本ハムはそのような風潮にも動じず、一貫した哲学を持って仕事に取り組んでいる印象を強く受けました。その最たるものが、「幸せな食創り」という企業理念に象徴されているように思います。食品という視点から新たな「健康」、「医」の分野を地道に開拓していこうという姿勢には共感します。食のメーカー側からもっともっと「健康」や「医」の分野に踏み込んだ研究が積極的に試みられることを大いに期待しました。(大枝記)

(参考)
日本ハム株式会社 ホームページ
http://www.nipponham.co.jp/


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